コラム

◆都市デザインによる都市の再生

活性化、再生や高度化などなど都市を巡る言葉が取りただされ、都市や地域に大きな関心があることがうかがえる。しかし、都市(主に工学)を専門とする身であるものの、今日的な課題と次々と講じられている各種公共施策との関係を考察するに、都市はどこからきてどこに向かうのであろうかと悩む日々でもある。我が国において近代都市が形成された歴史は、欧米とは別の経緯である可能性が高い。産業の発展やそれらに付随する文化的な進展から、必然的に起こった変容とは言い難く、明治維新を契機とする外的な要因や状況を受け入れ、模倣する中から展開してきたという解釈も成立しうる。なぜこのような書き出しになるかについては、東京という都市に関して再生すべき、高度化すべきとはどのようなのであるのかという点を再考しつつ、将来の都市像にフォーカスする都市デザインについて論考してみたいと考えているからである。

“ローマは一日にしてならず”ということわざがある。ローマという国は一つの都市国家をもとに、紀元前からおおむね500年という時間を費やして周辺の都市国家を吸収しつつイタリア半島を統一してひとつの時代を築いた。ローマ帝国を築くのに長い時間がかかり、大事業を行うのに大きな労力と時間を要する必要があるという意味に用いられると認識している。しかし、ことわざの発祥をたどるとラテン語のことわざは存在せず、中世以降になってローマを訪れ、その都市の建造物や街並みをみた後の人々が荘厳な都市の様態を称して、このことわざが生まれたと考える学者がいる。ここでのローマは帝国ではなく、都市のことを指す。文献上では、12世紀にフランス語で記された『百姓の諺(Li proverbe au vilain,)』の中に見いだせることが根拠となっている。その後のフランスではローマがパリになり、ロシアではモスクワにというように、文化的都市の在り様を示す言葉となっている。都市形成の歩みは、あまりにも日常的な生活の舞台としての都市は身近すぎるからか、何らかのきっかけを求めざるを得ないことも確かで、大きなイベントを契機とした議論は有効である。ただし、ある意味で浮かれたお祭り騒ぎの中で、性急に形作られる都市(空間)は、未来の人々にかような感覚を創出することができるのだろうか。

"東京は一日にしてならず"と言わしめる都市整備を

物理的な都市は工学的により分解された建築や土木をはじめとするさまざまな構成要素から成立している。それらの上に、生産活動から日常生活までの多くの人々の営みが交錯し、展開されている。活動の舞台となる都市が充分でなければ生活が成り立たないことは当然であるが、戦後の成長時代が過ぎ、成熟社会の到来ということもささやかれて久しい、今日においても都市に求められる物理的な諸施設が機能的に不足もしくは存在しないことを理由に整備される傾向は依然として否めない。なにより、都市を形成する物理的な要素は莫大な労力と財力が投資されるものであって、容易に再編できるものではない。

その意味も含めて成熟した都市、社会を形成するためにどのような諸機能が、どのようなタイミングで、どのようにあるかを考え抜いた都市形成に寄与する諸機能の整備が求められるのではないだろうか。従前より、都市という舞台の上に培われるべき人々の文化的な生活を誘発し、未来の時点において、東京は一日にしてならずと言わしめる都市整備が求められていることを再認識する必要がある。

公共空間の性質、意味を概念に立案する技術が有用

都市デザインとは耳なじみのない専門分野かもしれない。都市を構成する建築や土木施設などの個別要素が工学的に細分化されおり、相互調整が不足しがち中で、恣意的に漫然と設えられる(かもしれない)可能性が高いものを、総合化し有機体として機能しうる都市空間として成立させるための技術と言える。主な視座として過去もしくは未来からの複数の視点を設定して思考する=時間を考える、ハードとソフトを関連付け空間化する=事象を総合化する、論理的なプロセスデザインから可逆性を留保する=持続的な意識の醸成などが挙げられ、未来にも対応できる“空間の意味”を与えていく行為である。

具体的な一例としては、建築や土木などの物的な要素から切り離された公共空間(視覚的には景観や街並みに置き換えることも可能)を定義し、これに“意味”を与える必要な予見や要件が十分に検討された“コンセプト=概念”を立案する。ここに地域の個性や目指すべき都市像の理念を集約する。一方で、社会変化により公共空間は時代への即応性という点で、恒常的な正解を保ちづらい可能性も有している。経済的な活動に支配されがちな多くの建築は、地震災害のたびに更新される耐震基準や老朽化する設備に対応できず、35年から50年程度を目途にスクラップ・アンド・ビルドを繰り返している。結果として公共空間は個別要素の変化を追随し揺れ動くこととなり、都市が成熟していくために必要な時間的な余裕を持ちえない。そのためにも、現状の都市の文脈を多角的に考察し、公共空間の必要性と重要性を共有化したうえで、公共空間の性質や意味をコンセプトとして立案する技術が有用となる。公共空間をバックボーンとする都市空間は時間を超え、有機的な都市をなりうる要件を兼ね備え、都市の文化的な側面を醸成していく可能性を残すことができる。

都市デザインの技術のもう一つとして、プロセスデザインを成立させることがある。公共空間の形成過程には民間、公共を問わず多くの主体が関与する。それぞれの主体には責任と義務に基づく役割分担があり、かつそれらが複雑に絡み合う中で現代の社会自体が成立している。しかし、冷静に見ると過度な行政依存体質や過激とも思える地域主体論などが少なからず、バランスを欠いた状態で散見される。また、公共空間が建築と土木=基盤施設との関係で密接に成り立っており、特に基盤施設は容易に取り換えられるものではないことから、公共側の判断が優先されてしまう結果、前後脈絡のない(とも思われる)感覚に流されて柔軟性を欠いた独断専行が横行する結果になる場面が多い。そもそも公共空間およびそのコンセプトが定義されない中であるとすれば、自明の理である。あくまで、公共空間の概念が存際することが前提となるが、具体的な施設整備の相互調整の段階で、計画から設計に至るあらゆる場面での公民双方の納得できる説明性を明確化し、かつアーカイブしていくプロセスデザインが有効であり、将来的に予測される時代性にも即応できる空間性能に関する可逆性を担保していくことも可能である。  ひとつの事例として、東京都港区の枢要な位置に十数年におよぶ都市デザイン事例がある。汐留シオサイトは、国鉄民営化やバブル経済崩壊などの社会的な変動に翻弄されつつ、地元地権者グループと大企業群が行政と一体となって協働するプロジェクトである。現在進行中の事業でありその詳細は別の機会にするが、先行する土木施設整備と個別の建築物の整備を景観整備により関連付け、公共空間を公民連携のエリアマネジメントに発展させている事例である。この中ではこれまでに示した都市デザインの可能性と限界が凝縮されている。

半世紀以上の時間が経過した前回の東京オリンピックは戦後からの脱却を世界に向けて発信し、近代都市東京の大きな前進に貢献したことは間違いない。一方で、江戸期以来の貴重な水辺空間の喪失や同時期的に老朽化を迎える重量級の都市基盤施設など多くの課題を残している。都市全般のこれまでについても、都心部の空洞化、地域格差等をコントロールするために多くの都市計画的な対応がなされてきたが、今日的な都市問題として少子高齢化、なにより人口減少時代への突入という課題が顕在化している。
 あらためて、今日の世界都市東京はこの機会に何が発信できるのか、何を発信するのかを考えるべき時にある。全体としては経済再生に注目が集まる中であるが、今日的な課題に対応するのみにとどまらず、また経済的な豊かさのみに大きく左右されない文化的な都市の未来に向かうことが、2回目開催の東京オリンピックに向けた都市デザインの概念として提起されるのではないだろうか。社会的な目的意識を涵養するこのタイミングに水をさすつもりは全くないことを前提としても、目先に高揚感のみにとらわれることなく、勇気をもってあらゆる分野にパラダイムシフトを持ち込み、動くところと踏みとどまるところの再整理も必要に思う。

※このコラムは、2014年12月17日の日刊建設産業新聞(4面)に記載されたものです。

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