沿革
◆設立にいたるまで
◇「プロジェクトデザイン室」から始まりました。
1998(平成10)年、都市空間にとどまらずプロジェクトそのものをデザインすることを目標に、都市環境研究所内に「プロジェクトデザイン室」を立ち上げました。
20世紀から21世紀に移り変わるなか、公共空間を利用する“人”の視点を街づくりに強く反映するべきという考えの下、街の将来像を提案し、計画づくりに参画しました。
大学キャンパスの整備計画では、大学施設立地を地域にオープンにすることで街の再編計画へ発展させていくような計画づくりを行いました。
また、計画を場所づくりまで発展させた例として、川崎市富士見公園の改修整備(富士見球場・川崎球場周辺の整備、産業遺産の活用)、弘前市土手町のまちなか情報センターなどがあります。
◇エリアマネジメントを視野に入れた展開に。
1997(平成9)年から汐留シオサイトの開発事業に携わることになりました。当初は、新橋から浜松町にいたる31haに及ぶ東京都施行の土地区画整理事業区域内の公共施設について、景観デザインを提案していました。
しかし、道路や公園・広場などの公共施設管理を行政だけで行えなくなり、官民協働で管理運営するための仕組みづくりと併せて、公共施設の整備を行うことになりました。この官民協働の仕組みづくりが日本版BIDの取り組みに当たります。
そこで、エリアマネジメントを視野に入れて、公共施設のデザイン提案、提案したデザインの実現とその後の管理の仕組み、街の組織のあり方などを検討・協議することになりました。また、汐留地区街づくり協議会のスタッフとして、汐留の街づくりに携わるようになりました。
◇「プロジェクトデザイン室」の次のステージとして。
2008(平成20)年にプロジェクトデザイン室の実験的試みとしてアーバンデザインスタジオを開設し、2011(平成23)年から神田錦町の地にて活動しています。